ある方より、突然「カセットテープ聞けるか?」とのメッセージ。
取り急ぎ「ダブルデッキが健在ですよ」と返答。「ところで、何で、そんな事、尋ねるの?」との質問でメッセージを締めくくるも返答なし。結局あの質問は何だったのか?と思いつつ、つい先日その方お会いしたら、いきなり「プレゼントがある」と。
渡されたのは「waitz」と書かれたバック。そして、その中にはお洒落なハコが。
そしてそれを開けてみると、青い物体。その中身を引き出してみると、なんとカセットテープ!
「唐沢さんが好きそうだと思ったので買ってきた」と。 → (有難うございます!)
Sam Gendel というアメリカのギター&サックスプレイヤーのアルバム。カセットでしか販売していないんだとか。ふらりと入った店がカセットテープ専門店で、そこでたまたま流れていたとのこと。
早速、聴いて見ると、まさにアートで、素晴らしくて、本当に刺激になりました。
エレクトロとアンビエント、生音とエフェクト、静かなのに刺激的。新鮮さと、どこかで触れた事のある懐かしさ。
心地よいが、どこか常に気になる要素が含まれてた音。
今、制作途中の自分の作品が恥ずかしく思えてきちゃうくらい、刺激的だった。
そして、衝撃だったのは作品の内容だけではなかった。
・カセットしか出さない・・・・とか
・カセットテープだけで成り立っているお店がある・・・とか
・お洒落な箱に丁重に、包装されているカセットテープが高級品に見えてきてしまった・・・とか。
自分の中では、カセットは、2次的な利用・・・つまりダビング用で、原本ではない。安くて上書きできる便利なツールでしかなかった。
自分もどちらかというと最後の方までツールとして使い続けていた方だと思うけど、ポータブルテレコが壊れてからは、自分も使わなくなってしまっていた。そして、2度と復活することは無いんだろうなと思って、大量に捨てちゃったりしたけど、今、この現象は何なのでしょうか?
時代が進みすぎて、ひとまわりして、 便利なツール → 憧れのアイテム に。
この記憶の過去に宿る感覚と、新鮮な刺激のギャップにまた刺激を受けてしまいます。
大切なのは内容。
それがCDでもLPでもカセットでもyoutubeでも、VHSでもbetaでも、LDでも、内容が良ければ結局は何度も触れたくなる。いくらカセットが魅力でも、内容がつまらなかったら離れていきます。
しかし、音楽は物体ではないので、音しかない音楽を伝える媒体、筐体、物体・・・のコスメティックな魅力、感覚というのも同時に発生するものなのかもしれない。本もそうですね。
n'sawa-saraca 2ndの媒体は何にしようか・・・前作はCDと配信のみだったけど、今度は何か別の媒体も考えてみようかな?と思いました。
カセットにしてしまうか?