レコーディングの前日、寝る前に、偶然、twitterでシェアされたデビットボウイのインタビュー動画を目にしたのです。
「観客のためになんて演奏してはいけない」「観客のために演奏しても得るものはない」「他人の期待を満足させようなんて考えるのはアーチストにとって危険だ」「そういうものは最悪の結果を引き出す」と語っているのです。刺激的でした。
確かに、純粋に表現を出し切るという意味では真実だと思うし、私はそういった作品に魅力を感じます。個人で表現する、作品を作るのであれば、大切な姿勢だと、私も感じていたし、そのつもりでした。
しかし!今回のRec内容は自分の癖をかなり強調したもので、というか癖の塊で、表現という意味では濃厚・純粋で清々しいつもりでは居ても、いざこれから録音するとなると、頭のどこかに何かしらの不安がありました。
「独りよがり過ぎやしないか?」「誰も理解してくれないんじゃないか?」
まさにそのタイミングでこのような動画に出会い、ツマラナイ不安は一気に吹き飛んだのでした。
「そんなツマラナイことを心配すること自体ががツマラナイのだ」と。しかし、これは、解かっているつもりでも、これは乗越える事が難しいハードルの高い話だと思います。
デビットボウイが刺激的でカリスマ性があると言われるのも、根底にこのようなコンセプトが揺るがないからなのかも知れません。実際の動画はこちら。刺激的です!
そして、レコーディング当日、その刺激は何故か腰に・・・観客の為どころか、自分のためにすら演奏できなくなってしまうのですが(詳しくは「2nd制作その22~25」を参照。)
そして、レコーディング2日目の朝、webで鍼治療院を探している時に、脇見したtwitterで、また偶然、今度は、大沢伸一さんのtweetが目に飛び込んできました。「己のための表現であれ」と語っています。
まあ、どちらも成功した人だから、格好良く聞こえるセリフなのだとは思いますが、このメッセージにより、レコーディング中の余分な心配は一気に解消され、励まされたのでした。
果たしてこのタイミングでこのメッセージとは! これがシンクロニシティと言うものなのでしょうか?