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執筆者の写真nsawa-saraca

高度なテクニック

芸能・テレビ音痴も甚だしい私がこんなことを言うのも何なのですが、俳優の田村正和が亡くなったと知って、真っ先に頭を過ぎったのは、本人が出演していた「ニューヨーク恋物語」というドラマの主題歌「リバーサイドホテル」(井上陽水)の歌声でした。



癖の強い歌声が印象的だった為なのか?聴き直してみたくなってしまったので、youtube先生で検索してみると、聴けてしまうのでした。

何十年かぶりに耳にしたのですが、いきなりTR-808のリズムから始まり、今となってはお洒落な80’sの香りがプンプンして、惹き込まれていきました。

そして、サウンドから滲み出る緊張感とともに、何故か普段は殆ど頭に入ってこないし、聞こうともしない歌詞が気になり始めたのでした。


一体何なのだろうか?この不思議な歌詞は?


若い二人が・・・なんて言っているので、結ばれることのない男女の駈落ち物語のようなものなのだろうと思ったのですが、うまく聞き取れない言葉もあったので、Google先生で歌詞を検索したら、見つかってしまったのでした。

その文字を何度も読んでいるうちに、不思議な非日常的な感覚に取り込まれてしまって、1つ1つの言葉の意味が、ただならぬ意味を持っているような気がして、何度も読んでしまいました。


そして、この歌詞の意味に気づき、恐ろしさと美しさと悲しさ、奥深さに震えてしまった。


「そう言うことだったのか」


そして頭を過ぎったのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。

結局、こういうことを表現出来るのか?出来ないのか?

それが表現者の格を決める一つの指標となるのではないかと思うのです。


私の個人的趣味、独断と偏見ですが、私にとって、素晴らしい表現者とは、


日常の傍に常に存在する、非日常の世界を呼び覚まさせてくれる人。

非日常への扉を開けて、別の世界が今ここに存在しているということを教えてくれる人。


日常と非日常は隣り合わせ。

見えていないだけで、非日常の世界は何処にでもあるし、誰もが通り過ぎるところ。


今回は、今まで何気なしに聞き流していた歌が、ある時、突然、実は恐ろしくも美しいものだったと言うことに気づいてしまったわけです。

実は、見えるものも見えていなかった、なんて言う事が、身の回りには沢山あると言うことですね。


発信する側は、別の世界を伝えるためのスキルが必要で、そのレベルが高いほど、扉は大きくなり、敷居も低くなる分、多くの受け手側の心を揺さぶる事が出来るのかも知れません。


でも、小さい窓をほんの少しだけ開けておいて、気づいた人だけ、その先が見える様に仕向けていたとしたら、それはそれで発見した時の高揚感は前者の比では無いですね。


テクニックとは、そういうことを言うのではないだろうか?

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